関東大震災
南外灘軽紡面料市場のあとはコテコテ上海体験(by 井上@打浦橋@上海さん)
南外灘軽紡面料市場へ行ったあと、南外灘軽紡面料市場で服の注文をしたあと、そのままタクシーで、ホテルあるいは次の目的地に行くのも、イイんですが・・・・その日は、もう特に予定はない、でも、時間をつぶしたい、ということであれば、この市場からの下町散歩をお勧めします。なんせ、この地域は、上海の中でも、コテコテ感が未だに残ってる地域ですから・・・そのまま帰ってしまうのは、もったいないのです。しかも、この街並み、数年すると消えてなくなってしまうかもしれません。そのコテコテ上海を味わえるのは、今のうちと言うこともありますので、そういう方面に拒否感を持たない方なら是非、体験されてください。
表紙の写真は凝和路のパジャマおじさんです。
コテコテ上海には欠かせないキャラクターです。
ピースっ!南京への道?(それは赤の他人でしょう)(by きっちーさん)
新しく入社した会社の『新年会』を、
「すいませぇん。中国行ってくるんで・・・」
というまったく理由にならない理由でバックレ、正月休みをゲット。
だってソコさえ欠席すれば、7連休!
不良社員ですから。
出世とか望まない。
プライベート充実こそ生きがいですから〜。
だって南京、行くんだもん!
未知の旅には、情報収集。
これは4トラの皆さまの助言と、いつもの『地球の歩き方』である程度、事前学習。
ルート的には目安がついたものの、問題は今回の旅の重要な目的である、『南京大虐殺の現場をまわる』でした。
『南京大虐殺』と呼ばれるジェノサイドを『いつ』から始まった事として定義するのか。
これすらも議論がわかれる部分ですが、関連書籍を読んだ上で、
『大虐殺は南京市内だけの事件ではない。南京への道そのものが大虐殺の現場だった』
という主張が私の感想とも一致したので、このことを念頭に置いて、上海から旅をスタートさせることに。
そうすっと、1937年に皇軍が杭州湾に上陸したトコからだから・・。
70年前かー!
ウチのお婆ちゃんが小学生にもなってない頃だ。
ヒロシマ・ナガサキのように、体験者の方のお話を伺えればうれしいのですが、さすがにそこまでの交渉力は持ち合わせていないし、記録が残っている何人かの証言者の方たちが、ご存命かもわからないので、現在南京に住んでいる方に前の世代の人達から、どういう風に伝えられているのかを聞いてみたい。
そんな気持ちを中国語教師の張先生に話したところ、
「出来るところで協力ましょう」
メールを頂きました。
数日後、再び張先生のメール 。
『きっちー小姐。
私の店でバイトしていた子に、南京大学卒業生がいて、その人の同級生が、南京のホテルマンと結婚している。
そのホテルマンが南京を案内してくれる、ことを承諾してくれたので。
良かったですね』
・・・ん?
と、遠くない?
先生の知り合いとかではないし。
それって赤の他人というコトではっ。
その人もガイドでもないのに、誰だかわかんない相手を案内しちゃっていーの???
横浜散歩・山手西洋館(by もろずみさん)
天気が良ければ山に行こうと思っていたのに曇り空。こんな日は街歩きに変更です。
で、選んだ先は行こう行こうと思っていた横浜です。
山手の西洋館巡りは昔ながらの観光コース。結論から言えば街並は昔と少しも変わっていませんでした。ずいぶん久しぶりで楽しかったから許します。
コースは短いですが西洋館の全てが公開されているので、外観だけでなく屋内もじっくり見て結構時間がかかりました。内部を全部見たのは初めての経験でした。
ということで、歩いた順に写真を並べてみます。
家を出るときは薄日が射してきたのに南に下るほど雲がとれない一日でした。よって写真は自己採点で70点ですがお許しを。
2007年初旅 〜青春18きっぷの旅?・城下町小田原〜(by 旅猫さん)
「お江戸散歩」以外の旅の初めは、昨年と同じ小田原。
地元の駅から、湘南新宿ラインで一直線という手軽さから、ちょっと寝坊したときなど、いつもこうなってしまう(^^;
今回は、小田原城の脇をすり抜けて、箱根口から旧東海道の板橋口辺りまでを歩いてきました。
大阪の名建築 大阪市−中央区/中央大通以北(2007年3月更新)(by BATT_MANさん)
私の地元、大阪の街に建つ名建築の数々です。見慣れた街にも、結構たくさんのかっこいい建物があるんだと、改めて感じています。「旅行記」というより、大阪の街を知ってもらう「口コミ情報」になれば、と思います。多くはビジネス街の中にありますので、出張などで大阪を訪れた際には、こんな建築をチェックしてみるのも面白いかもしれません。
*ほかに「北区」「西区」「その他の地域」編も作成しました。よろしければ、そちらも併せてご覧下さい。
以下、文化庁のホームページより抜粋
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「登録有形文化財」
近年の国土開発,都市計画の進展,生活様式の変化等により,社会的評価を受ける間もなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代の建造物を中心とする文化財建造物を,後世に幅広く継承していくために,届出制と指導・助言・勧告を基本とするゆるやかな保護措置を講じる制度である。
これは,従来の指定制度(重要なものを厳選し許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補完するものであり,平成8年10月からスタートしている。
秦野(by buchijoyceさん)
秦野市は丹沢山塊のすそ、川沿いの盆地に開けた町。
私にしてみれば、秦野は丹沢山塊への入口、沢登の入口であった。当時も沢登だけで、丹沢のバカ尾根を歩いたことはない。
何十年ぶりかでここを訪れた。何十年ぶり前も、震生湖を訪ねてきたのだった。今回も夫が震生湖にどんなになったか行ってみたいと言い出したのだった。前のときも湖の周りを歩いただけだったから、「いいよ」と答えた。
もうひとつ、安藤忠雄さんの設計したお寺に寄ってこよう、確か尾尻にある大岳院というお寺だった。そして大山さんで豆腐を食べてこよう。
夫は実母の実家が秦野なので、私とは逆に山は知らないが、秦野はよく知っている。で、運転はお任せ。二ノ宮まで湘南バイパスを走り、中井・秦野に折れた。中井の民具館の横も通った。以前ここには来たことがある。そこらで右に曲がるところを曲がらずに直進してしまった。
「あれ!秦野は右だよ!!」
「どっかへいくさ」と車はすまして走っている。あんらまぁ、大井町にきちゃった。左を246が走っている。元の方へ戻ってきてしまったようだ。「渋沢」という表示が見えた。細い道だけど、渋沢の方があたっている。畑の中の山道を走る。これでも農道ではなく県道みたいだ。町が見えた、では下っていこう。すると、前方右手にお寺の屋根が見えた。あの寺かな、と寺の前まで行くと、これは本家の菩提寺、実母の実家の墓はあの木の下だ、お参りしてくるね、と言って、お参りに行った。
じゃぁ、震生湖はわかる、とすぐ震生湖の駐車場のところについた。車を置き、カメラを持って、100mという標識を見て下り始める。クヌギ林、市民がボランティアでこの林の手入れをしていると説明が書いてあり、ボランティア募集もあった。木漏れ日の漏れる林はムードがいい。ヤブランの紫があそこにもここにもと群生してて、かわいらしい。ただ坂は、土とはいえ、階段だ。きつい。帰りここを上るのはイヤだともうわめいている。
震生湖は関東大震災で丘陵が崩れ川をせき止めて出来たという小さな湖というより池みたいな湖。年月は湖の周りの雰囲気を変えていた。たぶん、木が大きくなったからだろう。岸では何人もの人々が釣りをしている。道端にヘラブナの死体が捨ててあって、臭かった。湖の側にも車がたくさん駐車している。下に駐車出来たんだ。
暑いことも暑かったが、日頃の運動不足、坂が上がれない、ふ〜ふ〜言って、やっとこ上っている。実際問題、これは困った。旅に出れなくなる。今のうちに、なんとかしないと・・
坂を上ったところで、駐車場まで300mの標識、そこで待つことにする。待っている間、近くの草むらをのぞいていると、ナガコガネグモを見つけた。家ではお目にかからないクモだ。よろこんで、デジカメで撮っている。望遠でも撮ったかな??記憶がない。
車が来た。安藤さん設計のお寺はもういいよ、疲れた、と弱気になっている。とにかく車が駅の方に下ってくと、標識は「今泉」
「あれ〜、今泉って・・」しばっらく行くと、「尾尻。尾尻ってお寺のあるところだよ」「やっぱりご縁があるんだ、聞いてくるよ」と夫がレストランに行った。「安藤さん設計の建築物が出来上がったら、世界的ですよね」と親切に教えてくれたという。ただし本堂を取り壊し、工事ははじまったばかり、だという。え〜まだだったの?でも、まずはお寺にいく。確かに本堂はなく、土が掘り返されていた。許可をみると、8月1日から工事着工とはなっているが完成日は入っていない。設計は安藤忠雄さんだ。
これもご縁と、道を教えてくれた「一の屋」というお店にお昼を食べに行く。店内は雰囲気のいい作り。禁煙席もちゃんとあった。洋食も和食も日本酒のバーもある。お酒を横目で見ながら、お昼に和食弁当を取った。いろいろあってたのしかったが、昼にはちょっと量が多かった。
大山さんへ向かおうとしてまた迷子になった。もう止めた、と帰ることにした。今度は二宮の元の農業試験場の前に抜ける広い道路、ここは通ったことがあるよ、で、まよわず二ノ宮へ、そして小田原で買い物をして早川まで行くと渋滞。なんで、とラジオをつけると、高波で片側通行をしているらしい。動かない。そこでターンパイクを回って、湯河原パークウェイを降りて帰ろうと、Uターンしてターンパイクへ。ここも久しぶりに通る。外資がこの道を買ったのはずいぶん前のことだが、その後通っていない。通行料は700円。
前には軽自動車が頑張って走っている。終点に出た。私はパークウェイの料金を準備している。軽が左に曲がった。ウチの車も左へ、そして「しまった、この道は大観山コースだ」有料ではないが、距離が長い。「うも〜」もっとも、このコースも何十年ぶりだろう。箱根はよく来るがここは通らないから。それでもUターンしてから50分で、家まで帰れた。
帰って、さっそくにデジカメの画像を取り込もうとしたら、なんとしたこと、カメラにカードは入っていなかった。ありゃ〜、
特にナガコガネの写真が惜しい。
で、今回は写真が載せられない。あ〜あ。
上野のお山の歴史的建造物群(by ぬいぬいさん)
谷中・上野桜木と下町の雰囲気を満喫し、上野の山にようやくたどり着きました。
ここは、子供が小さい頃に動物園の帰りによって以来、約20年振りに訪れる場所。当時は特に何も感じるものがありませんでしたが、歴史的建造物の大好きな今の自分にとって、たまらない魅力的なエリアでした。
築地界隈散策(by ぬいぬいさん)
築地場外市場に買い物に来たついでに、まだ中に入ったことのない築地本願寺の見学と周辺を散策しました。
本願寺の周辺は昭和初期の面影の残る街並みがまだ残っていました。銀座の交差点からわずか歩いて10分程度の場所にまだこんな街並みが残ってるんですね。
関内 銀行街(by プイイ フュイッセさん)
さて、ここは何処でしょう?
この日、磯子プリンスホテルに行く前に、改めて関内の銀行街を歩きました。
ここ関内は、スクラップ&ビルドの激しい東京と違って、建物がある程度、残されている地域です。ただ、関西などと違い、1925年に関東大震災があったため、ここ関内の建造物も殆どが震災復興建築です。実際に歩いてみると、銀行街と括るには様々な意匠があり、現在の使用目的の違いが分かります。
マッカーサーの愛したホテル 「ホテルニューグランド物語」(by ぬいぬいさん)
今回閉鎖されたマリンタワーの並びにある老舗ホテル「ホテルニューグランド」は、関東大震災の復興に於いて横浜市によって国際ホテルとして計画され、昭和2年に開業したもので来年で80歳の誕生日を迎える歴史あるホテルです。かつてあのマッカーサーも執務室として使ったマッカーサールーム、鞍馬天狗の作家大仏次郎の愛用した「天狗の間」なども実際利用することができます。ちなみにマッカーサースィートは1泊80000円程度だそうです。
関東大震災
自殺・・・痛ましいですね・・・
自殺・・・痛ましいですね・・・どうしたらこういう哀しい自殺は減る(なくなる)と思いますか?
我々消費者がなるべく商店街で買い物をするようにすればいいのでしょうか?
他に何か対策は考えられますか?
ご意見を下さい。
<自殺>豆腐店営む老母と息子、「先行き不安」遺書残し 2月16日 毎日新聞
表通りから「チンチン」という路面電車の音が聞こえる東京・荒川の商店街。
老舗の豆腐店で先月30日、男性店主(52)と母親(79)が首をつって亡くなっているのが見つかった。
チラシの裏に書かれた店主の遺書に、「収入が減り、先行きが不安」とあった。
時代の移ろいとともに商店街はかつてのにぎわいを失い、「シャッター通り」と呼ばれていた。
「一緒にやってきたのに」。仲間たちは無念の死を悼む。
都電荒川線の町屋2丁目駅近く。
商店街は関東大震災で焼け出された人たちが集まり、大正後期から発展した。
豆腐店は40年以上前、店主の父親が開いた。
店主は80年ごろ、20代半ばで店を手伝うようになった。
買い物客で込み合う街の中でも「いらっしゃい」とひときわ威勢のいい声を響かせた。
80年代半ばからの再開発でスーパーや新しい商業地区が現れ、買い物客が離れ出した。
街を活気づけようと電柱に花飾りをつけたのが、若い豆腐店主だった。
やがて閉じたままのシャッターが軒を連ねるようになった。
昨年春、近くに28階建てマンションが建ち住民は増えたが買い物客は戻らない。マンションの中にスーパーがあった。
「福引きはもうやめないか」。昨年末、豆腐店主はそう漏らした。
盛り上がらない客寄せ行事はさびしさをいっそう募らせる。そう言いたいのは仲間にも分かった。
1960年代、東京都豆腐商工組合には3000軒が加盟していた。昨年は992軒にまで減っている。

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★★★関東大震災っていつ頃おきたのでしょうか?!
★★★関東大震災っていつ頃おきたのでしょうか?!関東大震災っていつ頃おきたのでしょうか?!
http://www2.ttcn.ne.jp/~darenimo1993/

カテゴリ:ニュース、政治、国際情勢>災害、地震
首都直下型地震って何?
首都直下型地震って何?質問です。
首都直下型地震って何ですか?
東海大地震とは別ものですけど、そんなの来る予定あるんですか?

カテゴリ:ニュース、政治、国際情勢>災害、地震
今年はイノシシ年ですが12年前の淡路阪震災も関東大震災もいのしし年ってお聞きい...
今年はイノシシ年ですが12年前の淡路阪震災も関東大震災もいのしし年ってお聞きいたしましたが、地震とイノシシ年って関係があるのでしょうか?? 教えてください。

カテゴリ:教養と学問、サイエンス>一般教養
軽巡洋艦「那珂」は1944年2月17日にトラック島方面で戦没したと言われていますが、...
軽巡洋艦「那珂」は1944年2月17日にトラック島方面で戦没したと言われていますが、その詳しい戦没状況について教えてください。

カテゴリ:教養と学問、サイエンス>歴史
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