東海道新幹線
信長の居城だった「清洲城」(by glabraさん)
信長の居城だった「清洲城」。桶狭間の戦いにはこの城から出陣したらしい。関ヶ原の戦いの後、名古屋城が築城されると清洲城は廃城となる。江戸時代は廃墟?だったはずの城が現在になり蘇った。東海道新幹線からも見える復興天守閣の周辺は庭園や橋が整備された公園になっている。
西日本、鉄道の旅1日目−大阪(by うたぴょんさん)
鉄道を使って大阪〜下関〜出雲と3泊4日の旅行に行きました。多少観光はしましたが、ほとんどの時間は列車の移動に費やされました。でも、車窓から見える風景は自然がいっぱいで楽しかったです。
路線バスで巡る水都蘇州(by STAMP MANIAさん)
中国の古都、蘇州を訪問した。
かつて世界有数の大都市として栄えた街であるとともに、「東洋のベニス」とも呼ばれる水の都。
水路の密度はベネチアに遠く及ばないが、それでも、自分の足で歩いてみると、頻繁に水路のある風景に出くわす。
水都蘇州は今なお健在だった。
そんな蘇州を、路線バスで巡ってみた。
海外で路線バスなんてハードルが高そうだが、蘇州の路線バスは簡単に使いこなす事が出来た。
そもそも、路線バスなんて地元住民でも普段使う路線以外は知らないのが普通。
中国人が交通旅游図片手に車窓と睨めっこしている姿を何度も見た。
せっかく漢字が読めるのだから、臆することなく路線バスを利用してみたい。
写真は、宝帯橋の夕日。
福井、越前がに食べまくり旅行−1日目(by うたぴょんさん)
ズワイガニ漁のシーズンは11月から3月下旬までです。このカニの季節に、獲れたての越前がにをお腹一杯食べてみたい!という欲望を満たすべく、福井県越前町を訪れました。
片瀬貴文のパリ便り【642】世界の鉄道首脳会議に出る(by ソフィさん)
1961年11月29日(水)
日本からやってこられた国鉄総裁を、UIC(万国鉄道連合)の総会にご案内する。
UICは、最初はヨーロッパ各国鉄の列車ダイヤを決めるための、会議だった。
しかし技術的な諸事項や、経営管理についてなど、お互いに歩調を合わせなければならない問題が増えてきて、鉄道全般に関する会議へと発展した。
現UIC総裁は、私が敬愛してやまないルイ・アルマンさん。
「世界の鉄道は皆仲良し」と、いつも言っておられる。
彼は第二次大戦で、ナチスに対するレジスタントで有名になり、42歳の若さでフランス国鉄総裁を務めた。
映画「鉄路の戦い」の、モデルでもある。
もともと鉱山学校出身の技師であり、蒸気機関の清缶剤を開発して、世界に名を轟かした。
期待していた総会だったが、気の抜けたビールのように、今ひとつ沈滞を感じる。
鉄道の斜陽化しているのが、原因の最たるものだろう。
参加者に老齢者の目立つことも、気にかかった。
しかし日本が話題となることが多く、うれしかった。
鉄道技術研究所の充実、東海道新幹線、関門海底トンネルなど、われわれが世界の注目を浴びていることを、改めて感じる。
これからの日本が、世界の鉄道に、新たな息吹を吹き込むようになるかも知れない、予感がした。
【旅行時期】1961/11/29~1961/11/29
【エリア】
パリ
【テーマ】
出張
【投稿者】
ソフィ
片瀬貴文の日記【07.01.17】一年間に十年分働いた(by ソフィさん)
私は最初に、神奈川県の説得にかかった。
一週間に六回県庁を訪ね、必死になってひたすら頭を下げる。
当時新幹線をオリンピックまでに開通させようという国民の合意は、きわめて薄かった。
沿線地元へのお願いは、深夜から早暁に及ぶことが多かった。
ある地元の有力者からウィスキーのぐい飲み競争を強いられ、意識不明になって危うく一命を失うところだったこともある。
国鉄の工事監督者も手薄ならば、施工業者の現場監督も極端な人手不足である。
寸暇に工事現場を見回ると、ボロボロのコンクリートが打たれていたり、柱が曲がったりしている。
現場のあまりの情けなさに、不覚にも人前をはばからず、涙がとまらないこともあった。
トンネル工事では落盤事故で、何名もの人命を失う。
その責任で警察に呼ばれ、毎週のように調書を取られる。
会計検査では三回も問題を指摘され、その対策に追われる。
体力と気力の限界いっぱい努力を重ね、どうにかギリギリで、1964年4月には東京・大阪間全線の線路がつながった式典を、総裁を招いて川崎で実施するまでに漕ぎ着けた。
しかし実際には、まだ線路がつながっていないところが、神奈川県内に残っていた。
一度つくった橋が変状し始めて、作り直していたからである。
が、とにかく、曲がりなりにも東海道新幹線は、東京オリンピックに間に合った。
最後の一年は、十年分ほどの苦労が一度にやってきた感じだった。
片瀬貴文の日記【07.01.16】川崎市議会の「新幹線地上通過反対」(by ソフィさん)
パリから帰ってまもなく、本社から東京新幹線工事局(東幹工)に転勤命令を受けた。
当時新幹線工事を建設するために、東京・静岡・名古屋・大阪と、四つの「新幹線工事局」が設けられていた。
私は、ヨーロッパで一年過ごした成果をまとめながら、これからの人生を考えようとしていたところだったので、東海道新幹線工事の最後の部分をやれといわれたときには、何とか辞退したかった。
しかしこのような大切な仕事をやり遂げるチャンスは、長い人生でも多くはないだろうと考え直し、全力投球しようと、頭を切り替える。
ヨーロッパに出発するとき、上司である課長の反対を振り切ったいきさつもある。
この反対は周囲の空気を気にしてのもので、この人の本音ではなかったと思うが…。
私の担当区間は、多摩川から新横浜の手前までである。
用地はまったく確保できていなかったが、そのうちでも最も難関は川崎市内の通過だった。
川崎市内の新幹線ルートは、一度決まったものを反対があって、変えたいきさつがある。
新しいルートに対して、今まで以上の反対があってもおかしくない。
川崎の市議会は「新幹線地上通過反対」を、決議していた。
トンネルを掘り、地下鉄で通過せよということなのだ。
しかしトンネルを掘ろうものなら、莫大な費用と時間がかかり、まず不可能に近い。
そのような情勢で神奈川県も、鶴見川横断に対して無理な条件をつけている。
1964年10月の東京オリンピックに間に合わせるには、土木工事を64年の春には完成させなければならなかった。
私の赴任は1962年8月であり、土木工事完成のタイムリミットまで、1年半しか残っていない。
片瀬貴文の日記【07.01.15】東海道新幹線建設の最後の区間を背負う(by ソフィさん)
2007年1月15日
1961年6月から、翌年の1962年6月にかけて、私はヨーロッパに滞在した。
出発するときには、東海道新幹線はおそらく50%以上の確率で、東京オリンピックに間に合わないだろうと考えていたのだが、帰ってみると工事は思いのほか進んでいるので、驚いた。
今では多くの人が、1964年10月のオリンピックまでの開業は、8割方可能だろうと考えている。
そのように進んだ原因は、一言で言えば全員の「押せ押せムード」だろう。
しかしその背景にあるのは、総裁の「なんとしても作り上げるぞ」との信念と、皆の心をひとつにまとめたリーダーシップに相違ない。
もう少し掘り下げれば、用地買収担当者の、昼夜を分かたない、命がけの努力があった。
また、工事の指揮を執った各工事局長の、果敢な判断力と実行力も、忘れてはなるまい。
そこで私は、まだ逆カルチャーショックに苦しんでいる間に、工事が発注できていない最後の区間、川崎市と横浜市の担当をおおせつかり、新幹線開業を成否を決める、大切なラストスパートの仕事を任されることとなる。
この区間は、地元に根強い反対が残っていて、用地さえ確保できていない。
逆カルチャーショックは、いわゆる「外国ボケ」の人が帰国後、日本文化との狭間に味わうショックで、日本の色々な社会風土に違和感を感じながら、その対処に苦しむ現象である。
オリンピックまでの開業が出来るか出来ないかは、この区間の工事が支配していた。
いわば、駅伝の最終ランナーのようなものだった。
片瀬貴文の日記【07.01.14】東海道新幹線は東京オリンピックには間に合わないと考えられていた(by ソフィさん)
東海道新幹線の仕事をやるべく、東北の山奥から東京に赴任したのは、1960年(昭和35年)の春のことだった。
私が着任したときの東海道新幹線は、予算がないだけでなく、まだ技術的に検討しきれていない分野も、たくさん残っていた。
目だった問題としては、まず「パンタグラフの離線」である。
電車が高速で走るためには、たくさんのエネルギーを取り込まなければならない。
このエネルギーは、線路の上に張った電線(架線)を通じて、電車の上に取り付けられたパンタグラフから、モーターに取り込まれる。
だが、電線にいかに多くの電流を流しても、それが電車のモーターに達しない限り、エネルギーを与えたことにはならないのだ。
電車のスピードが速くなると、架線とパンタグラフの動きがばらばらになり、うまく集電が出来なくなる。
もうひとつ問題だったのが、電車の蛇行動だった。
電車のスピードが160キロを越えると、電車を支える台車が急に激しく蛇行を始める。
それをいかにすれば、止めることが出来るかの問題なのだ。
翌1961年初夏に、私はフランス政府給費留学で、パリに出発するが、そのころには国会も通って予算もつくようになり、技術的な基本問題も解決されて、前進が始まっていた。
しかしそれから解決さるべき用地買収の困難さを考えるとき、1964年のオリンピックまでの開業は至難と考えられていた。
当事者の私でさえ、そう思っていたのである。
【旅行時期】2007/01/14~2007/01/14
【エリア】
東京都
【テーマ】
鉄道・乗物
【投稿者】
ソフィ
片瀬貴文の日記【07.01.13】専門の力を総合させる行司役(by ソフィさん)
私が東海道新幹線の仕事にたずさわり始めたのは、1960年(昭和35年)のことだった。
発令を受け、雪深い秋田・岩手県境の山中から、家族を盛岡に残して、とりあえず東京に馳せ参じた。
新幹線調査室が1959年に出発し、翌1960年には新幹線総局に格上げされて、全国からメンバーが集められたのだった。
そのころ、まだ世銀の動きもはっきりしないまま予算の目途が立っておらず、果たして出来るものかどうか未知の段階だったが、東京オリンピックを四年後の1964年に控えて残された時間は少なく、猪突猛進の感じだった。
新幹線総局は、国鉄本社ビルの最上階8階の大講堂に、補佐クラス以下の若いメンバー全員が机を並べ、非常時体制を感じさせ、壮観だった。
この「大部屋」が、どれほどチームワーク固めに役立ったか、計り知れない。
私は「新幹線総局建設局計画課補佐兼新幹線調査室補佐」という長い発令を貰い、建設基準の策定業務に従事する。
これは、新幹線設計の基本となる数値を決める仕事で、ほとんど全ての専門分野を網羅するものだった。
国鉄の各専門分野がいかに高いレベルでも、それぞれの専門がバラバラならば、力を発揮しない。
建設基準策定は、専門分野の力を合わせるための、まとめ役的な仕事だった。
私がそれを担当するのは、まだ若くて「専門」の色に染まっていないからだと、上司の課長から説明された。
会議では「自分の思っていることを、遠慮せずにどしどし発言しなさい」と、励まされる。
会議のメンバーは30歳代だったが、私がいつも一番若かった。
毎日専門家たちが、口角泡を飛ばしながら議論をする。
世界に例を見ない、全列車250キロという高速運転を可能にするために、それぞれの専門家には不安が残っている。
自分の専門分野では、少しでも有利な設計条件を貰って、技術的なゆとりを残したいと考えるのは、当たり前だろう。
専門技術がわかっていない私は、その行司役に向いているようだった。
専門の人の発言はいつも我田引水的と、色眼鏡で見られがちの中で、私の発言は中立的と受け止められる。
【旅行時期】2007/01/13~2007/01/13
【エリア】
東京都
【テーマ】
鉄道・乗物
【投稿者】
ソフィ
東海道新幹線
新幹線の切符の買い方と料金
新幹線の切符の買い方と料金こんにちは 質問です。
僕は、静岡在住の高校生ですが、今度埼玉の友人の所まで遊びに行くことになりました。
それで、新幹線を利用して行こうと思っていますが、僕は今まで一人で新幹線や電車を利用したことはありません。
なので、切符も買い方が分からないので教えて欲しいです。
新静岡駅→大宮駅(埼玉)まで行くのですが、往復の切符はどれくらいの料金がかかるのか大体で良いので教えてほしいです。
どうか、ご親切な方 よろしくお願いします。

カテゴリ:地域、旅行、お出かけ>交通、地図>鉄道、列車、駅
東海道山陽新幹線
東海道山陽新幹線東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線はJR西日本の担当ですが、なぜ、このような分け方になったのでしょうか?
よろしくお願い致します。

カテゴリ:地域、旅行、お出かけ>交通、地図
新幹線・「こだま」「ひかり」について!!!
新幹線・「こだま」「ひかり」について!!!すみません、、、度忘れしました!!!
新幹線について②つ教えてください~。。。
①むかし新幹線「こだま」で青色以外に、、、緑色の新幹線がありましたよね!!!
緑と青では何が違うんでしたっけ???
②初代「ひかり」はまだ走ってますか???(レールスターとかではなく最初の・・・)
「ひかり」にも緑色ってありましたっけ???
お願いしまーす!!!

カテゴリ:地域、旅行、お出かけ>交通、地図>鉄道、列車、駅
中学社会(歴史)
中学社会(歴史) 中学社会についてです。
分かるところがあれば簡単でいいので教えてください。
①太閤検地が行われた後の社会の様子はア~エのうちどれか
ア・地頭が荘園におかれた。
イ・石高に応じて年貢が納められた。
ウ・祖・調・庸の税が課せられた。
エ・惣という自治組織がつくられた。
②奈良時代、鎌倉時代の文化にあてはまるものをア~エから1つずつ選びなさい
ア・狩野永徳が屏風絵を書く。
イ・・・空海が真言宗を開く。
ウ・「日本書紀」がつくられる。
エ・運慶らが東大寺南大門の金剛力士像をつくる。
③Aにあてはまる国名Ⅰ群から、Bにあてはまる地名をⅡ群から1つずつ選び記号で答えなさい
「我が国は、鎖国の間も(A)とだけでなく、中国や朝鮮とも貿易を行った。(A)や中国との貿易は
(B)で行われ朝鮮との貿易は対馬が拠点となって行われた。」
Ⅰ群(Pポルトガル、Qスペイン、Rオランダ)
Ⅱ群(X鹿児島、Y長崎、Z浦賀)
④明との貿易について、明と幕府が倭寇を取りしまるために行ったことを「勘合」の語句を使って
書きなさい
⑤時代の古い順に記号(ABCD)を並べなさい
A・「太閤検地を行う、南蛮貿易を行う、安土城がつくられる」
B・「墾田永年私財法を出す、遣唐使をつくる」
C・「参勤交代の制度をつくる、鎖国の間も貿易を行う、菱川師宣が浮世絵を書く」
D・「執権政治を行う、文永の役が起こる」
E・「摂関政治を行う、宋と貿易を行う、かな文字が生まれる」
F・「南朝と北朝を統一する、明と貿易を行う、銀閣がつくられる」
⑥明治時代と昭和時代それぞれの時代にあてはまるものを二つずつ選び、番号で答えなさい
1・学生が定められる。
2・ラジオ放送が始まる。
3・東海道新幹線が開通する。
4・テレビ放送が始まる。
5・郵便制度が始まる。
⑦三国干渉を行った国の一つが、我が国に樺太の南半分をゆずることを認めた外交上の
出来事はどれか
A・下関条約を結ぶ。
B・ポーツマス条約を結ぶ。
C・二十一か条の要求を提出する。
D・日中平和友好条約を結ぶ。
⑧我が国の輸出額は1929年から1930年にかけて大きく下がった。
その理由を「アメリカ」の語句を使って書きなさい。
⑨衆議院議員総選挙で、女性が投票している。それはどの期間のものか
A・1889~1895
B・1915~1925
C・1932~1945
D・1945~1951
⑩1868年~1978年の期間に起こった世界のできごととしてあてはまるものを二つ選びなさい
A・ソ連が解体する。
B・国際連盟が発足する。
C・EUが発足する。
D・国際連合が発足する。

カテゴリ:教養と学問、サイエンス>歴史
JR駅員は駅の違いで給料が違うの?
JR駅員は駅の違いで給料が違うの?ふと疑問に思ったのですが、JRの駅員は勤務している駅に関わらず給料は平等なのでしょうか?でも栄えている駅とそうでない駅がありますよね。栄えている駅の駅員はかなりせわしく客の対応しているのにそうでない駅はあまり相手をすることがないのでは?と思います。どうなんでしょうか?それともローテーションで違う駅に配属とかあるんですか?

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